

徳川家康に仕えた石川丈山は、
大坂夏の陣で豊臣家が滅んだ後に
戦場で勇猛に戦うといった武士としての生き方をやめます。
戦の無い時代に、官僚型の江戸幕府には
自らの身を置く場所が無かったのかも知れません。
54歳に京都に移り、59歳に詩仙堂造営。
以後31年間、没するまでこの地で数寄者として
京都の文化人と関係を持ちつつ暮らしました。
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- 2013/06/30(日) 08:48:00|
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「遺宝展は16時までです。」
ということで、大急ぎで一番奥まで、というか下まで。
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- 2013/06/25(火) 22:18:43|
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開基は徳川家康。
我が愛読書「ひょうげもの」では、数寄の解からない堅物として
描かれていますが、京都の至る所に彼の数寄の足跡が残っています。

ここ、圓光寺もそのひとつですが、ここ洛北の一乗寺に移されたのは
1667年の寛永年間でした。
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- 2013/06/11(火) 22:36:55|
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