
世継子育地蔵尊、嘉永七年(1854年)建立と
門前の石碑に刻んであるそうです。
伝えによると、常林寺が経つ以前よりこの地に祀られていて、
広く遠国まで霊験が知られていたそうです。
続きを読むテーマ:■京都を撮る■ - ジャンル:写真
- 2019/09/21(土) 02:04:13|
- 京都 洛東
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0

本堂の前には生き物のようにうねる萩。

三門から参道の辺りに茂っています。

地蔵堂の前のピンクの萩も鮮やか。

花びらはピンクとパープルとのハーモニー。

本堂は江戸の元禄年間に建立されました。

初秋には石畳を隠す程生い茂ります。

パンフレットを読みますと、勝海舟が定宿にしていたのは海軍の伝習生として長崎や神戸にしばしば赴いた若い日の時に、当時檀家の大紅染商・綿屋徳兵衛のいう方が開国派の知識人を擁護したが、この人の斡旋であったかもしれない、と書かれていました。

徳川家所縁の知恩院を中心とする浄土宗のお寺でもあり、旗本であった勝が逗留したのには疑問はありませんが、

海軍操練所時代に坂本龍馬と酒を飲むのはわかるけど、武市半平太を心底尊敬し攘夷派で幕府打倒を主張した中岡慎太郎と勝海舟が議論を交わしたとの説明員のおばちゃんの話には少し疑問を感じざるを得ませんねー。
テーマ:■京都を撮る■ - ジャンル:写真
- 2019/09/16(月) 15:06:19|
- 京都 洛東
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0

萩の花は砂場に多く茂るそうです。
先日のブラタモリでやっていましたが、鴨川は平安時代前期は洪水が多くて治水に苦労したそうですが、平安時代後期からその勾配が急であったことからその水流の勢いで河岸段丘が形成され徐々に天然の防波堤ができたそうです。そのため京都の左京地域に京都御所が移り、庶民が移り住むようになって栄えたとのことでした。
常林寺は、鴨川デルタ地帯に近く、京阪の終点出町柳駅から南に歩いてすぐの所にあります。昔は河原だったのが河岸段丘によって水に流されることも無く現在まで続いて、萩が茂るに適した環境となったということでした。
続きを読むテーマ:花・植物 - ジャンル:写真
- 2019/09/15(日) 09:35:27|
- 京都 洛東
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0

萩の寺「常林寺」の特別公開に行ってきました。
幕末に勝海舟が京都滞在の折に定宿にしていたお寺ですが、滞在した部屋が公開されています。結構広い書院造りで、一目見て落ち着いた良い部屋だと感じました。「海舟」の名が入った掛け軸が複数掛かっています。
説明員の方から、坂本龍馬や中岡慎太郎が訪ねて来ては、酒を飲んで大いに盛り上がったことでしょうとの説明がありましたが、
大政奉還の頃に目の前の部屋で繰り広げられた光景が容易に想像できるほど、その雰囲気のある部屋でした。3人が酔って寝ても充分余裕のある広さで、棚も床もあって、幕府重鎮所用として釣り合いのとれた品格のある部屋でした。
歴史的なストーリー性のある美感覚のツボに、はまってしまいました。
庭の萩の花は咲き始めで、場所によってはたわわに咲き乱れている所もありました。午前中は仕方ないけど逆光。
D500の試し撮りでしたが、少し彩色がきついかなー?
テーマ:花・植物 - ジャンル:写真
- 2019/09/14(土) 11:10:20|
- 京都 洛東
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0